慶應義塾大学総合政策学部を卒業しました

本日、慶應義塾大学総合政策学部を卒業しました。
長いようで短い四年間でした。

卒業式では総合政策学部の学部代表として直接塾長より学位記を受領しました。成績優秀という訳では無いので表彰を受けたわけでも金時計を貰ったわけでも無かったのですが、一応総代としての役割を果たすとともに会場の最前列で慶應義塾塾歌を爆音で歌い上げ、周囲をざわめかせたのでした←

写真は友人がスマホで撮ってくれたものです。式典が終わってしまえば残るものは学位記ひとつで他の卒業生と何ら変わりありませんので、貴重な一枚です( ´∀`)

長いようで短い四年間、と言いつつ、実際には長い四年間でした。何が長かったって、通学です。片道2時間40分をかけて通学を続け、湘南新宿ラインが浦和に停車するようになってからは最大で3時間かかりました。やっと上野東京ラインが開通したのは四年生進級時でした。この通学時間は常に僕にとって大きな負担でしたし、そもそも第一志望に落ちて泣く泣く慶應に入った僕にとっては、長時間に渡って満員電車に揺られる時間は「何で俺こんな思いして慶應なんか通ってるんだろう」と自分の不甲斐なさを恨む時間以外の何物でもなく、同時に浪人も一人暮らしもさせてくれない両親を恨むばかりでした。

僕がこの四年間をこのような形で終えられるのは、何より僕を支えてくれた友人たちのお陰に他なりません。ある友人は「高校であれだけ色々頑張ってきたんだから、大学はどこに行ったってまた頑張れる」と励ましてくれました。ある友人は共に夢も愚痴も全て語り、慶應の枠におさまらないスケールの大きな大学生活の在り方を考えさせてくれました。ある友人は僕と付き合っていると言われるほど毎週のように僕を泊めてくれ、勉強だけでなく趣味を限りなく究めることの楽しさを語り合いました。ある友人は「親は選べない、でも友だちは選べる」と励ましてくれました。ある友人は家にも大学にも帰れなくなって駅で寝ている僕をわざわざ駅まで呼びに来て泊めてくれました。

今日の僕は間違いなく、かけがえのない友人たちの支えを受けて壇上に立っていました。彼らの支えなしには総代はおろか、卒業すら怪しかったでしょう。「僭越ながら」と言うべきなのかもしれませんが、多くの友人たちのバックアップがあってここまで来れたという意味で最も自分が強い後押しを受けている、総代に相応しい卒業生だったのではないかと思っています。猫背の僕が壇上で胸を張れた奇跡は、最後の最後まで多くの人たちの後押しを受けていたことの何よりの証明だと思います。

みんな、本当にありがとう。


慶應義塾塾歌は大好きですが、慶應義塾は未だに好きになれません。でも、ある連合三田会の日に、ワグネルの先輩には「やまそーが慶應を好きになるのは、慶應を卒業した後かも知れないな」と言われました。この四年間多くの友人たちに恵まれた僕にとって、その可能性は多分に残されていると思います。楽しみはもうしばらく先の未来にとっておくことにします。

さようなら、大嫌いな慶應。さようなら、大好きなみんな。

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